提言『Japan 2.0 最適化社会の設計-モノからコト、そしてココロへ-』
記者発表会 小林喜光代表幹事 発言要旨
小林喜光代表幹事より提言について説明した後、記者の質問に答えた。
小林: 本日は、提言『Japan 2.0 最適化社会の設計―モノからコト、そしてココロへ―』を発表する。(私が代表幹事に就任してから)約3年半、20以上ある各政策委員会で議論してきた成果の集大成である。「to whom」、誰宛て(の提言)かというと、経営者自身がメインになる。もちろんこれを成し遂げるためには、国民、政治、社会といったあらゆるステークホルダーも関係している。モーゼの十戒になぞらえ、「経営者宣言」として10カ条を掲げ、経営者としての覚悟を示した。世界の経済が、モノづくりからサービス・流通を含めたコトづくりへと(移行し)、トータルにバリューチェーンを設定する時代に入っている。それがコンピュテーショナル(Computational)になり、AIなど、人間の頭脳より速く処理できるものの助けを借りたデザイン思考をする時代にきた。ゆくゆくは人間の心、人そのものにビジネスが向かうだろうという思いで、この「モノからコト、そしてココロへ」という副題を付けた。提言を読んでいただければ、その思いの一端は伝わるのではないかと思う。今日は、(我々が)何を考え、どう経営者宣言としてまとめたのかについてご理解いただきたく、説明申し上げる。
目次を見ていただくと分かるように、戦後70年の来し方を振り返り、行く末を考えるというところから始めた。日本、世界を取り巻く状況を解析し、我々なりの(ターゲットである)2045年を最終形としたら、どういう方向に向かって最適化していけばいいのか。2045年の姿をどこまで設定できるかは非常に難しい問題だが、理想形からバックキャストして、2020年までにどんな具体的な手立てを(講じるか)、あるいは行動に着手すべきなのか(を整理している)。単純に、経営者の問題だけではなく、やはり企業、政治、国家、あるいはアカデミアのガバナンスまでをトータルに含めて(考えた)。時代がどうあれ、最終的には人間中心で、心をベースにした社会を実現するために、経済同友会は自己変革に挑戦していくという宣言になっている。
なぜJapan 2.0なのか。私が本会の代表幹事に就任したその数年前に、世界的な化学企業であるダウ・ケミカルのアンドリュー・リバリス会長に(お会いした)。その彼とお会いした際、日本は経済・社会システムは(戦後から)全く変わっていない、バージョンアップしないと本当に取り残されるだろうと言われ、それが耳に残った。日本が相当に劣後している中で、どうバージョンアップするのかという意味で、「Japan 2.0」という題名を付けた。世界は今、大変革期にある。この認識は皆さんも共有できる事実ではないかと思う。テクノロジー、とりわけAI、コンピューターをベースにした技術(が進展している)。最近では、米国のDARPAはContextual Reasoningと言って、人間の心、知から感性まで(研究を)進めようとしている。ここ4~5年でデザイン・シンキングがビジネスに導入されてきたが、それをよりAI、機械学習をベースにしたコンピュテーショナルなところでデザイン・シンキングを行う手法が米国を中心に広がりつつある。あるいは、AI、IoTというなかでサイバーフィジカルシステム(Cyber Physical Systems)をどう構築していくかが、ビジネスの中心になっている。アルファ碁を開発したことで有名なDeepMind社のデミス・ハサビス氏は、分子構造などの新しい構造設計を機械学習で行えば、従来の計算科学を凌駕するだろうと(述べ)、具体的な成果も出つつある。あるいはバイオの分野では、先日、中国・深センで、(南方科技大学の賀建奎副教授が)クリスパー・キャス・9という(ゲノム編集の)テクノロジーで、人間の受精卵を使って遺伝子組み換えをし(双子を誕生させ)たと発表した。コンピューターが人間を凌駕する一方で、バイオサイエンスそのものにより人間を変え、設計していく時代が来ている。戦後100年である2045年には、おそらくそういったものが相当、具体的になっているだろう。
その前提で、我々は今、何をしなければいけないか。ある意味で、イデオロギーの時代は(終わった)。昨今のアンチグローバリズム、保護主義などを明確に打ち出しているトランプ米大統領やBrexitなどもあるが、より先を見ると、資本主義そのものが変質し、データを持った者が覇権を握るという「データイズム」の時代が訪れると予言している人もいる。今までは資本家と労働者という見方であったものが、本当に勝ち抜いた一握りの(エリートが富を独占するという)超格差社会になり、残りは全てUseless People、つまり無用者階級で、読書、運動、美術、旅行と麻薬(に耽る)だけの人間だといった想定をする人もいる。非常に面白いのは、こう主張しているユヴァル・ノア・ハラリ氏というイスラエルの歴史学者が1976生まれの42歳。デミス・ハサビス氏もちょうど42歳だ。(彼らは)今40歳代初めだが、30歳代中頃から時代をひっくり返すようなものの見方をする天才的な人が出てきている。私より30歳若い人たちが、時代を担っている(と言える)。一方、The World Economic Forum(WEF)のクラウス・シュワブ会長は80歳になる。(彼が創設した)世界の英知を集めるダボス会議で、グローバリズムとグローバリゼーションを(議論している)。グローバリズムは一つのイデオロギーだが、ノン・グローバリズムを唱えたところで、21世紀は経済のグローバリゼーションが当然のごとく広がっていくだろう。来年の初めのダボス会議では「Globalisation 4.0」がテーマとなる。戦後100年、国家百年の計というレベルでみると、あと20数年先の2045年を想定して、考察・準備をし、2020年までに何をやるべきなのかを整理していかなければならない。我々としては、2016年までをJapan 1.0と位置づけ、東京オリンピック・パラリンピック終了後の2021年からJapan 2.0が始まると想定し、最終形となる2045年というターゲットに向けどういった行動を取るべきかについて、より具体的にまとめている。
それを解析する手法として、X・Y・Zの三軸に時間軸を加え、国家に敷衍している。X軸はManagement of Economicsであり、GDPを中心とした経済の成長を示している。Y軸はフロンティアの開発であり、イノベーションの軸(を示している)。Z軸は持続可能性の軸で、環境、財政、安全保障、教育、あるいはエネルギー等々の問題としてテーマを挙げている。経済の豊かさ(を測る指標)が果たしてGDPだけでいいのか。Y軸のイノベーションについて、日本はどこに集中して行くべきなのか。おそらく社会性も含め、あるいは日本のテクノロジーのこれまでの蓄積を含め(て考えると)、サイバーフィジカルシステム、バイオヘルスケア、環境あたりがベストなチョイスではなかろうかと考えられる。Z軸はサステナビリティの軸であり、時間(軸)としては、21世紀中頃を見越して、時代の行く末を見ながらやっていく。トータルではこれらを分解すると、心・技・体というか、(X・Y・Zの順で言うと)体・技・心と(なるが)、こういう風に解析した方が分かりやすいだろうということだ。
世界では、グローバル化、デジタル化(AI化)、ソーシャル化が大きな変革のうねりになっている。これら大きなうねりに関連して、三つの関係性というのがかなり変化してきている。まず、リアルとバーチャルの関係性、付加価値と効用がある。結局、付加価値をGDPとすると、GDPを上げたところで人々のユーティリティ、効用、ウェルビーング、あるいは幸せ、これらがリニアな関係にはなっていない。そのような中で、シェアリングエコノミーやリサイクルエコノミーなどに対して、経済的にどう備えるのかというのは大きな問題である。インターネットがこれだけ拡散し、ソーシャル化した中で、かつて情報を持つことが一つのヒエラルキーを形成していた。企業においても、かつては情報を持った人間が高い地位にあったが、いまや誰でもネットを通じて情報にアクセスできる。文字通り「個」というものと、国家、地方、あるいは会社などの「集団」との関係性がかなり変わってきている。また、かつて地政学、これをジオポリティクスと言うなら、ジオエコノミクス(地経学)という(視点で)今回の米中関係見ると、ほとんどテクノロジーとエコノミクスがベースになって、政治が行われている。そういう中で、我々経済人は何をやっていけばいいのか。そもそも今、本当の危機感が我々にあるのだろうか。内閣府「国民生活に関する世論調査」(2018年6月)によると、(国民の)74.7%が(現在の生活に)満足しているという。これだけ世界から遅れをとっているという状況の中で、なんとなく幸せというか、ゆでガエルというか、こういう現象をどう捉えていけばいいのか。我々からすれば、これを「知の退廃」であり「自己変革力の枯渇」と表現している。だからこそ、過去の延長線上には明日はないという思いでやってきた。
付加価値と効用が乖離してきており、単純にGross Domestic Product(GDP)というよりはGross National Income(GNI)により、海外の利益も入れるような形にしないと、グローバルに対応できない(というポイントがひとつ)。また、環境の問題や社会の安定性などの社会性を入れた何らかのパラメーターがなければ、経済統計として正確に捉えられないのではないかという提言を2年前に行った。
冒頭に申し上げたが、もはやモノづくりの時代は基本的には終わったのだという認識で、コトの時代、あるいはココロの方にシフトしている(と理解すべきだ)。したがって、モノ差しという時代は終わり、またコト差しも終わりつつあり、今やココロ差しというかヒト差しというか、そういったメジャーが必要なのではないかという問題提起である。それと、2045年に目指すべき姿を描くことは非常に難しいのだが、個別には(提言の)冊子を参照いただきたい。一言でいえば、このまま放っておいたらとんでもない超格差社会になってしまうという現実に対して、公正な分配ができ、かつ適正な競争のできる社会を目指すべきである。より具体的には、標準化の覇権と差異化の個性を競う社会、イノベーションと倫理・規範が止揚する社会、民意による他律と自律の統治が機能する社会に向かって、我々としてどう対応していけばよいのかということである。先程の三次元的な表現で説明すると、国家価値、企業価値、あるいはアカデミアなどそれぞれが価値を最大化することになる。その一方、社会というのは最大化するというよりむしろ最適化するということになる。
グローバル化やデジタル化が進む一方で、イノベーションを起こすためには倫理規範も相反する部分がある。それをいかに止揚していくか(を考えていく必要もある)。
データ覇権主義についても、GAFAや、中国のサイバーセキュリティ法、EUのGDPRなどは、来年の世界経済フォーラム(ダボス会議)でも議論の中心になると思うが、これだけ国家間がせめぎ合っている中で、いかに標準化していくことができるのか。WTOも変革が期待されているが、これは(世界にとって)大きな問題である。
また、ソーシャル化が進む中で、フェイクニュース等のさまざまな問題が起こっているが、民主主義の捉え方(を考えて行く必要がある)。
それでは日本は何をしていくべきなのか。これはやはり日本の強みであるグローバルアジェンダ、(すなわち)地球環境、水、食料、あるいはバイオヘルスケアといった分野で社会に貢献しつつ、世界共通の大きなアジェンダに対して、テクノロジーを使っていくと(いうことである)。日本人の長い歴史の中から(培った)「三方よし」や、和魂漢才・和魂洋才も含め、得も言われぬ混ぜご飯を作るような感覚や、(リアルとバーチャルを融合させる)サイバーフィジカルシステムに、日本人の強みを見出していってはどうか。先程申し上げたとおり、シンギュラリティと言われている時代、あるいはクリスパー・キャス・9という(技術)で、DNAそのものが組換えられ人間自体が進化、あるいは退化するというとんでもない(時代がやってくる可能性がある)。(これまで)人間というものが進化の最終形だと思われてきたが、DNAが改変され、人間を凌駕するほどのスピードでデータが処理されるようになる(可能性がある)。そうすると、そもそも人間とは何か、そういうところにまで来てしまう時代を想定して、我々は世界で比較優位を保ちつつ、今(開催されている)COP24でも苦労しているように、なかなか共通の方向性が見出せない中で、いかに可能性を見出していくのか。結果として(目指すべきは)、持続可能な社会であり、ダイバーシティに富む社会であり、インクルーシブな社会ということである。それを具現化するために、我々経営者が(ターゲットとした)2045年を目指し、(Japan 2.0がスタートする)2020年に向かって最低限やらなければいけないこととして10の「経営者宣言」を作った。個々の企業価値の最大化、イノベーション創出力の強化、多様な「個」の活躍の促進、インクルーシブな社会の構築、人材の育成、自分自身の会社もさることながら、行政を含めた社会のデジタルトランスフォーメーションの加速にどう関与するか。あるいはガバナンス。特に立法府が弱体化する中で、ガバメント・ガバナンスにどう対応するのか。そして、地球環境・水・食料など、サステナビリティの軸をSDGsと言われている目標とともにどう活動していくか。そういうことをやるために、変革へのダイナミズムというか、活力、ガッツというか、これをどう生み出していくのか。日々研鑽する人生100年であるならば、教育を受け、仕事をし、すぐリタイアするのではなく、常に自分自身を変革し勉強していくという文化、自己変革の文化(をどうつくっていくことができるか)。そういう社会を自分なりに構築していくための経営者宣言を行ったところである。
Q : 「経営者宣言」10項目のうち、特に小林代表幹事として思い入れの深い項目をご紹介いただきたい。また、「人間中心主義のココロと経済同友会の自己変革」の中で、「ベーシック・インカムの可能性も含めた再配分政策がますます重要になる」との見通しを示されたが、一方で、「ベーシック・インカムはその一つの手段として考えられるが、一律に最低限の所得保障を行う制度は、持続可能とは言い難い」との一文もある。この関係についてご説明いただきたい。
小林: 「経営者宣言」の中で最も深く考えるテーマの一つは「企業価値の最大化」である。今後も日本が、世界で相対的に優位に立って、勝ち抜くためには、企業が主体となり世界で稼いでこないと1,000兆円以上の(国の)債務は返せないし、企業が稼ぐという、X軸にあたるものが根源だと思う。そのような意味で、今まで(日本企業は)資本効率が悪いなど色々と言われてきたが、5%程度だった大企業のROEも最近では10%程度になってきているので、この5~6年で相当進んできたのではないか。もう一つ、企業価値には表裏一体で極めて重要なポイントがある。コーポレート・ガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードなど、政府と経営者がかなり議論を行った。例えば、(東証一部上場会社で)社外取締役を2名以上選任する企業が9割を超え、5、6年前までは考えられないほど企業のガバナンスのあり方が変化している。しかし、かつての「臭いものに蓋をする」文化がまだ残っているので、ここへ来てクライテリアを厳しくしたところ、色々なものが出てきている(ということではないか)。しかし、基本的にはかなり良い方向になってきていると思う。米国企業のROEは、業種や業界によって違いがあるが、約20%だ。(日本企業も)どうすれば最大化できるかが大きなポイントだ。また、イノベーションの創出という意味で、ユニコーンが中国には約100社、米国には約150社あるが、日本には1社しかないと言われ、相対的に少ない。ベンチャーの創出能力もない上に、1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代から比べ、大企業の研究所でもそういったエネルギーが喪失していることに対して、極めて憂慮している。今後どうするかを、経営者の団体として考えるべきだと思う。
ベーシック・インカムについては、単純な計算を例とすると、国民1億人一人ひとりに10万円を配り、さらに道路工事などの公共事業を行うと、すぐに(ひと月に)10兆円規模になってしまう。そのような意味で、全員にお金を配ることは財政的に無理である。ただ、働くことができない人、あるいは、コンピューター社会や自動化社会になかなか適応できない人に限定し、人間として生きる尊厳を最低限保てる状況を守るためのお金(や所得保障)の提供は十分に考えられるのではないか。
Q : 米国と中国の間で、先端技術を巡って「新冷戦」「テクノ戦争」と言われる状況に陥っている。これまで経済界では、「中国はいずれ西側的な、自由化・民主化へとパラダイムシフトするであろう」という見通しもあったが、ここにきて、米国のみならず世界的に考え方の変化が起きている。直近の動きとして、5Gについては中国通信機器メーカーの参入に障壁を設ける動きが日本も含めて明確になってきている。デジタル化の中で舞台が変化しており、中国をどのように位置づけていくか、日本としてはどう考えていくべきかを伺いたい。
小林: 将来に繋ぐにあたり最も重要な(課題の)一つだ。無人決済店舗やスマートフォン端末でのキャッシュレス決済、DNAの改変テクノロジーなど、数年前まで中国がここまで進化するとは思っていなかった。5Gについても、先日、ファーウェイのCFOがカナダで逮捕された。日本政府が、セキュリティを考えて政府調達を行うとの方針を決めると、ソフトバンクなど携帯電話大手も(その方針で)対応する方向になっている。日本外交において、米国を最も重要視しつつ、中国とも上手く付き合い、コーディネーションをするということは、そう簡単ではないだろう。セキュリティ関連については、安全保障上、日米安保条約という方向に行かざるを得ない。中国がどう孤立するか。欧州、オーストラリア、ニュージーランドも5G(通信網構築に関して)ファーウェイを入れないという方向は、非常に象徴的だ。日本も中途半端にコーディネーションするレベルではなく、日米安保条約の中で中国、韓国、北朝鮮を捉えていく必要がある。ジオポリティクスそのものであり、それがジオエコノミクスと絡んでくる。(今回の)政府方針は、日本政府も覚悟を決めてやるという表現ではないか。テクノロジーも政治も含め、データ独裁主義でサイバーセキュリティ法を有する中国とは相容れない。向こうが妥協するのを待つしかなく、それ以外の道はないと思う。
Q : 「経営者宣言」の趣旨はよく理解できた。敢えてお聞きするが、一般市民はどうしていくべきか。また、「最適化していく力」について、これが何を指しているか、もう詳しく少し教えていただきたい。
小林: 我々経営者も「一般市民」という認識を持たなければならない。都会に住む人々と地方で暮らしている人々では、モビリティ(だけ)でもかなり差がある。「経営者宣言」(の名宛)は経済同友会に参加している会員を中心に考えたが、それをどう広げていくかという(ことだ)。会見冒頭に私が述べた「to whom」だが、これは経営者であり、全てのステークホルダーでもある。それゆえ、政治に関連した部分も大いにある。市民に対してはやはり、「(日本は)ゆでガエル現象になっている。僕らはもっとお互いに勉強しよう。世界はここまで変わっている」ということ、これが我々から国民への一番のメッセージだ。経済同友会には地方関連の委員会が3つあり、地方創生や地方分権について議論しているが、(全国)どこを訪ねても、多くの場合、首長からも各地経済同友会の代表幹事からも、東京一極集中を指摘される。我々としては、地方とどう関わっていくのか(が課題となる)。今回の外国人労働者(受け入れ)の問題でも、彼らによると「皆、東京に行ってしまうのではないか」(という懸念があるようだ)。一方で、世界で戦うためには東京がものすごく強くないといけないことも事実である。これについて、国民レベルで考えていくということかと思う。
最適化については、ベーシックインカムのコンセプトも含め、分配を公正にし、人間が尊厳を持って生きられることをきちんと担保し、かつグローバルに戦う中で適正な競争のある社会、これが最適化の最終形だと思う。ただ、このような社会にするためには、財政のサステナビリティ(が重要で、)もっと稼がなければ日本は沈没してしまう。使うばかりでなく、もっと儲けを最大化しなければならない。企業体は、企業価値を最大化しなければならない。国家が国家価値を最大化しなければ国民は逃げるだろうし、企業は間違いなく本社を日本から移してしまうだろう。そういった切迫感(を持ち)、それぞれの主体は、組織(の価値)を最大化しなければならない。(その集合である)社会は、「今・ここ」に則った規範に従って最適化していくしかない。正義を定義するのはなかなか難しいとすれば、ダイバーシティはもちろん、ここに生きている人々をインクルーシブに認める社会、そして将来も持続可能である社会、こういった社会に最適化することだと思う。
Q : 2045年の最適化社会で目指す姿について、「グローバル化の進展で、標準化の覇権と差異化の個性を競う社会」「デジタル化(AI化)の進展で、イノベーションと倫理・規範が止揚する社会」「ソーシャル化の進展で、民意による他律と自律の統治が機能する社会」という3つ項目を挙げていらっしゃるが、相反するものをうまくバランスさせないと実現できないと思う。これについて詳しくご説明いただきたい。実現するためにはなにが必要か。また、ガバナンスについては、今年は企業でも政治でもさまざまな問題が起きた。この二点について見解を伺いたい。
小林: 二点目の質問からお答えする。ガバナンスについて、特に企業のガバナンスという意味では、ここにきて多くの事象が出てきたが、これは今に始まったものではない。20年、30年前からあったものだ。明確なクライテリアができ、それゆえ今まで蓋をされていたものがオープンになった事象がほとんどだと思う。(昨今起きていることは)急激に出てきた悪い現象ではなく、かつてのものを今、明確にオープンにして晒し、説明したと捉える方がよいのではないか。過去4~5年、コーポレート・ガバナンス・コード(が定められ)、社外取締役を2人以上(選任する東証一部上場の企業)が9割を超え、(会社を)見る基準がだいぶ厳しくなってきた。(例えば、)20~30年前(に比べ)、企業の工場やコンビナートの事故件数は増えている。しかし、一度に何人も犠牲になるような大事故は本当に少なくなってきている。これはクライテリア、バーが高くなったということだ。かつては事件にならなかったもの(もカウントされ)、あるいは小さな火災でもすぐに消防に報告しなければならない。そのように、批判が厳しくなっているため、数が増えている。今回のコンプライアンス問題も、かつてはみんな蓋をされてきた(ものだった)。臭いものに蓋をしながら何十年も経ってきた。そういった企業風土を、今は臭いものから蓋を取ってオープンにし、綺麗にしている過程の1つだと捉えている。
前半の質問だが、標準化の覇権については、特に中国、ロシアがどうなるかも含め、一部、少し違う動きをしている国もある。そもそも現状では、標準化すること自体、非常に難しい。理想的な2045年の姿「最適化社会」に向けて、我々は努力し、日本が標準化の主導権を握りたい(という主旨だ)。加えて、やはり社会や経済は、非常に個性豊かな分野で競争力を培っていくようになるだろう。規制があるとイノベーションが起きないと言われるが、そうは言っても規制、倫理(も必要だ)。例えば先ほど申し上げたクリスパー・キャス・9のような(技術によって)、ヒトのDNAまで転換してしまい、頭が良くハンサムで背の高い人間ばかりが生まれてくるようになると、困ってしまう。そこにはやはり規範が必要で、人間としての倫理も要る。野放図にイノベートすれば良いというものではなく、やはり倫理なり規範があり、そこで両方を上手く止揚していく社会(が最適化社会だ)。規制で抑え込むだけでもなく、野放図なイノベーションでもない。今やそんな時代ではない。データ(に関する問題)もそうだと思う。GAFAだけにデータを独占されたらとんでもないことになるため、やはり規制が要るという意味だ。また、(「最適化社会」3点目の)他律と自律についてガバナンスを例にとると、(企業には)他律的にコーポレート・ガバナンス・コードで縛られる部分と、自律的に自分自身を統治する機能(がある)。もっと言えば、国家もそうだろう。国民一人ひとり全てのレベルが高いという前提であれば、民意によるそうした(ガバナンスの)機能が実現できる。そういう社会を一つの例として挙げている。グローバルな状況の中で最も難しいテーマだが、分配の公正さと競争の担保とが理想形である。これを常に掲げ、そこに向かって日本の企業人、社会、国家は戦ってくべきではないかと思う。実現に向けてどうしたらよいかは、今も少しは(方策が)あるものの、これから考えていきたい。非常に大きなテーマであるため、個別に対応しつつ、今後の経済同友会の大きな(テーマである)「Do Tank」(という形)で行動していく。その一つひとつで解を見つけていく。ただ、今はあまりにショートターミズムの中で政治も動いている。我々経済人も、「マンスリーで儲かるか、儲からないか」「来年景気の良し悪し」のようなことばかりでなく、もう少し長期的な目線をもち、社会なり自社を見直してみるべきだと考えている。
Q : 日本はベンチャーを創出する力がなく、かつてのエネルギーが喪失していることを極めて憂慮しているとのことだが、昨今の官民ファンドをめぐる混乱をどうご覧になっているか。またその影響についてどう考えているか。
小林: (まだ)数は少ないが、東京大学や京都大学におけるベンチャー(企業)の数、時価総額も増えてきた。ベンチャーも育ってきているので、まだまだ絶望する必要はない。ようやく優秀な学生が独立しよう(という機運が高まってきており)、必ずしも全員が海外のコンサルティングファーム等に行くというわけでもない。そういう意味では、(ベンチャー企業創出のエネルギーについて)完全に否定しているわけではないが、相対的に低いと(感じている)。それを活性化する一つの手段として(設立された)新しい官民ファンドが頓挫しているのは非常に残念だ。やはり官というか、政というか、国民の税金をベースにしたファンドでは、今のスピード(に対応し)、リスクを取ることのできる人を集めるには、相当限界があるということが露呈した事象ではないか。今後、経済産業省を中心にそうした設計をもう一度考えていかないと、良い人材は集まらない。海外では、ファンドとしてとても成り立たないだろう。一方で、銀行のみならず民間企業も(米国)西海岸やイスラエルなどでベンチャーキャピタルを立ち上げて、個別には動き出している。民のファンドが頑張っていけばやっていけるのではないかとも思っている。
以 上
(文責: 経済同友会 事務局)