採録記事|未来志向の政策トーク番組
『日本再興ラストチャンス』第8回「賃上げ」

第8回 賃上げ

経済学者・成田悠輔氏と経営者の対話を通じて、日本を、経済を再興させるアクションプランを考える「日本再興ラストチャンス」。今回は、賃上げをテーマに議論しました(この記事は、ビジネス映像メディア「PIVOT」で配信された動画を採録した広報誌『経済同友』2024年2月号の再掲です。PDFはこちらから

  • 成田 悠輔
    イェール大学 助教授/半熟仮想株式会社 代表
  • 新浪 剛史
    経済同友会 代表幹事/サントリーホールディングス株式会社 代表取締役社長

  • 野嶋 紗己子
    PIVOT MC

(所属・役職は出演時)

給与上昇は当然という社会的通念へ変えるターニングポイントに来ている

野嶋 今日は賃上げをテーマに、日本企業の給与は上がっていくのかという点を、お二人に語り合っていただきたいと思います。現在の日本での動きを、成田さんはどうご覧になっていますでしょう。

成田 強欲な守銭奴である(笑)経営者の方が給与を上げれば給与は上がる、上げなければ上がらないということだと思っています。

野嶋 賃上げ基調は何となく分かるけれども、自分の給与は本当に上がるのかと思っている人も多いと思うのですが、新浪さんのお考えはいかがでしょうか。

新浪 総論としては上がらざるを得ないですね。良い人材に活躍し続けてもらうために給与を上げなければ、事業が永続できなくなるということは、どの経営者も分かっていると思います。ただ課題が残るのが中小企業です。日本の雇用の 70%を占める企業群ですが、下請けの多重構造が厄介です。もちろん意欲のある経営者は中小企業でも積極的に賃金を上げているはずですが。

成田 中小企業の多くはギリギリのところでやっているから、賃金を上げる余力がないということですか。

新浪 それはあります。大手企業に対して中小企業が人件費分を価格転嫁できていない面もあるでしょう。特に物流業やサービス業は顕著で、現実的には給与を上げられない状況が起きています。

成田 変えるためには、誰が何をやればよいのでしょう。

新浪 まずは私ども経済同友会など経済団体を中心に、大手企業自身が人件費の転嫁を許容していくことが必要です。転嫁を受け入れてもらえていない中小企業事業者が声を上げられるように、公正取引委員会がチェックしていくことも必要だと思っています。一昨年、中小企業の価格転嫁協議に応じない大手企業が名指しで公表されたのですが、それはかなり威力があったと思っています。

成田 それでも変われない中小企業は淘汰されるべきでしょうか。

新浪 人材への投資をしない会社は淘汰されてしまうだろうと思っています。企業が無くなっても、働き手は別の企業へと移っていくでしょう。

野嶋 賃上げに関してはいろいろなテーマがかかわりますが、今回は「転職」「年功序列」「リスキリング」という三つのトークテーマを準備しました。この三つの言葉について、どのような印象を持たれますか。

新浪 社会的通念を変える、すなわち「給与は上がっていくものだ」というノルムに変えるターニングポイントだと捉えています。大きな背景は人手不足と、2023年に起こったインフレです。現状維持を是とする感覚から、モデレートなインフレの中、イノベーティブな企業にしていくためには人材への投資が欠かせないという社会的通念に変えていく。そのタイミングにきています。転職、年功序列に対してのチャレンジ、そしてキャリアデザインとリスキリングは、こうした上位概念の下にあると捉えるべきではないでしょうか。

成田 新しいノルムにおける賃上げはどれくらいが望ましいと思われますか。

新浪 3%くらいですね。日銀が消費者物価指数の上昇率を 2.4%としましたが、それを超えていかないと生活レベルは上がりませんので。経営計画を作る上でも3%プラスで考える必要があります。

成田 賃上げは全体をまとめて語りがちですが、年齢や性別、産業など、どこをコアターゲットにするかが重要だと思います。例えば 20代男性だと 10年以上前からかなりの賃上げが起きていますし。特に対象で考えるべき層はありますか。

新浪 やはり20代から40代あたりです。退職金制度も見直し、一番働き盛りの人たちに給与が渡る仕組みにしていかないと、転職の環境は進んできていますので、社員は離れていってしまいます。一方、50代以上の方には3%のベースアップを基本とし、あとはそれまで積んだ能力を活かして賃金を得ていく、と考えるのも一つかと思います。

成田 高齢者や育児中の女性など、労働時間密度も給与も抑えられた働き方をする人が増えたことも、構造的な賃金低下に影響しているでしょう。しかるべき理由によって賃金が上がっていない部分と、賃金が上がるべきなのに上がっていない部分を分けて考えないといけないと思います。

良い人が集まることによって会社が発展していくよう、ダイナミズムを変えていく

野嶋 私自身はテレビ局入社5年目の20代でPIVOTに転職をしたのですが、そのときに考えたのは退職金がほぼもらえないこと、そして業界のビジネス構造の展望です。それまでに培ったスキルを活かすことができ、より将来性がある業界・業種にどう転身していくかという働き手の悩みに対して、経済同友会や政府の動きはどうなのでしょうか。

新浪 経済同友会としては政府とも一緒になって、仕事の内容と給与が分かるようなプラットフォームをつくろうとしています。われわれの会員企業が情報を出して、どういうスキルを身に付けたらどのくらいの給与が得られるのか。そのためのキャリアデザインまで考えられる仕組み作りに、官民ともすでに動き始めています。これが機能すれば、企業が何を提供できるかが問われることとなり、企業間の競争が良い意味で厳しくなると思っています。

成田 厳しくなっている実感はありますか。

新浪 企業が社会に何を貢献していくか、パーパスを掲げるだけではなく、実際に何をやっているかがすごく重要になってきたと感じています。

成田 今の話も三つのキーワード全てにかかわる上位概念ですね。キャリアや仕事、労働というものをその目的も含めどう再定義するか、再デザインするか。かつてのように、企業名や年次で仕事の大部分を記述していた世界から根本的に変えないといけないと思います。

新浪 一部の産業はすでに人材投資の競争が激しくなっており、経営者もその認識で動いている。一方で、物流業やサービス業はこれから経営者の判断が問われていくでしょう。産業による差は大きいと思っています。本気で人材をコストではなく資産と考えるか、資産としての人材にやる気を持ってもらえるようにどうするかを考え、その結果として利益を人材や将来に配分していくことが経営だと思います。

成田 経営者の賃上げについてのお考えも伺えたらと思います。公開情報を見る限り、日本の経営者の報酬は他国に比べ桁違いに低くないでしょうか。

新浪 誤解を恐れずに言うと、日本では経営者が交代しても他の人がいる。デフレ基調の中で新しいことをやらず、コストカットを中心とする現状維持に価値が置かれて経営者が選ばれてきた結果でもあるわけです。しかしこれも転換期にあります。経営のあり方によって業績の差が相当出てくるでしょうし、成果が高い人にはより支払う方向に動いていくでしょう。日本の経営者に対する価値付けのあり方は、これから変わってくると思います。

成田 日本企業が採用する外国人経営者は、海外に転職市場があるため報酬が上がりやすい構図になっています。日本人経営者の転職市場をどう組織化していくかも重要そうですね。

新浪 これまでの 30年とは違うことが多分に起こってくる中で、経営者も社員と同様に転職が起こっていくのではないでしょうか。

野嶋 日本のサラリーマンは年収 1,000万円が一つの成功基準という感覚ですが、成田さんからはどう見えますでしょうか。

成田 驚くくらい低いですよね。僕がいるイェール大学の学部新卒は、だいたい初任給が 1,000万円を超えます。大学院生にも 1,000万円近くの生活費が出ます。

新浪 この 30年間、何事もコストカット、価格も賃金も下がるという通念の中で生きてきた日本の私たちと、有無を言わさず物価上昇分が賃金に上乗せされていくような米国とでは、社会的通念がまったく違います。日本は分配に対する考えも横並びですが、企業間競争を考えれば、経営者の力量が問われていくと思います。

野嶋 以前この番組で成田さんから「重鎮経営者は引退せよ」という提言をいただいていましたが、そのご意見は今も変わりませんか。

成田 これも経営者の賃上げの話とかかわっているのではないかと思います。今のサラリーマン経営者の賃金水準だと、会社にしがみつき、退任後も顧問などで収入を得る必要があり、結果として経営者が高齢化しているという説を聞きました。賃上げは過度な高齢化に歯止めをかける一手だとも感じます。

野嶋 新浪さんは以前に 45歳定年という発言もありましたが、そこは今どのような意見をお持ちでしょうか。

新浪 「定年」という言葉を使ったことは反省しています。趣旨としては定年制導入ではなく、45歳ごろまでには自分のキャリアデザインをしましょうという意味だったのです。人生 100年時代にこの先の将来をどう考えるか、そのために今何をしておくかを、人生の中腹で考えることは大切だと思っています。

成田 新浪さんがご自身の賃上げを宣言されて、炎上の上で引退されたらよいのでは...。

新浪 社員の賃上げなくして自分の賃上げはないですよ(笑)。米国の経営者は給料を取り過ぎだと思いますが、少なくとも日本も欧州に負けないレベルにはなるべきだと思います。

成田 しばらく前までは、日本はあらゆるものが横ばいでも、きれいで治安が良い街に住めることで満足できていたと思います。ただ気付いてみたら、海外旅行に行くのは一部富裕層の特権になり、日本の有名大企業で働くよりも海外の農場で働く方が良いと思える状態にまでなっている。それがはっきりしたということ自体が、変化の起爆剤になり得ると思います。

人材への投資や年功序列の打破がないと、企業は生き残れない

野嶋 視聴者からも意見をもらっています。年功序列の打破が遅々として進まないのなら、海外で働いた方が良いのではないかと。その辺りはいかがお考えでしょうか。

新浪 年功序列の打破は遅々として進みませんでしたが、これからかなり進むと思います。そうしないと良い人が来てくれませんから。もちろん海外に行くのは良いことで、その上で戻ってこられる状態になっていくと思います。

野嶋 とは言え、閉塞感を拭えずにいる人も多い気がしますが、何かできることはあるのでしょうか。

no8_e.jpg新浪 動き始めることが重要ですね。海外に出ていく労働者が増えれば経営者は危機感を感じ、一気に変わっていくでしょう。一番良い人材から動きますから。昨年の10月から 12月に賃上げの声明を出した企業がすごく多いと思いますが、これは危機感の表れですし、逡巡している企業は出遅れて負けていきます。日本は横並び意識が強いですから、一気に変わっていくと思います。まずはやってみたらいいと思います。

野嶋 他にも質問をいただいています。例えば賃上げの名目で法人税の減税が進んでいますが、一方で大企業の内部留保が 22年におよそ 555兆円、11年連続で最高を更新している状況をどう捉えているかという問いに対してはいかがでしょうか。

新浪 法人税の減税はプラスにはなるけれども、それがなくても賃上げをするべきです。減税がなければ賃上げしないという企業は生き残れないと思っています。555兆円の多くはいろいろな形で資産として投資しているものもあります。重要なのは剰余資金をどう使うか。この先はただためていても競争に勝ち抜けません。PBRを上げるためにお金を使うのではなく、人材や将来に向けたR&Dなどに投資をしていくことが大切です。

成田 これだけ現預金が内部留保に積み上がってきた背景は何だと思われますか。

新浪 バブル崩壊によってお金を借りるのが大変になった経験のトラウマが大きいでしょう。現預金を持っていることを是とする経営が伝承され、投資をやった経験がないまま過ぎてきた。それを打破して成長してきたのは、海外に投資をしている企業です。

成田 日本は海外純資産が世界1位ですので、世界に投資して資産を形成している側面と、むやみに現預金をため込んでいる側面とは分けて考えるべきです。

目的や価値を自分たちで定義し、言語化・数値化していくのが大事

野嶋 リスキリングで本当に給与は上がるのか、新しい職業に就くという流れになるのかという点も議論したいのですが、成田さんからは日本のリスキリングはどう見えていますか。

no8_f.jpg成田 私はいまだにリスキリングが何を指しているのかが分からないのですが、いろんなタイプのリスキリングがあります。仕事環境が大きく変わり、使うシステムも変わる中でのスキル更新は、誰もがやり続けなければならなくなっています。一方で、職業やキャリアの根本的な変更が意味されている場合もあると認識しています。ただこれは危ない一面もあります。例えば一時、プログラミング学習を奨励する風潮がありましたが、ここ1年の生成AIの発展で、職業としてのプログラミングはなくなるかもしれないというところまで大転換したわけです。語学力も同様です。そう考えると、まったく違うキャリアに転身したら新しい世界が待っている、というような夢物語は危ない気がしています。

新浪 その通りだと思います。重要なのは、将来世界がどうなるかという大局観を持てるように勉強していくこと。その中で自分はどこに興味があるかをちゃんと考えることです。目的をはっきりとさせた上で得たい知識やスキルに取り組まないと、身に付かないでしょう。明日を今日より良いものにしていくために、自分は何のために生きるかがすごく重要です。生成AIが出てきた中ではなおさらです。

野嶋 そうした大局観を、私たちはどう感じ取りどう学んでいけばよいのでしょうか。

成田 今日は賃上げや給与の話をずっとしてきましたが、私たちはお金のために生きているわけではないですよね。GDPを上げるために国が存在しているわけでもありません。根本的に何が私たちの目的なのか、私たちにとって価値がどういうものかを自分たちなりにどう定義できるかが大事なわけです。それが日本は弱い。GDPなど価値を測る基準は全て輸入してきたもので、誰かが作った物差しで定義されるゲームを戦うことを自ら選んでしまっている。自分たちのパーパスは何か、社会にとっての価値観はどうあるべきかをちゃんと言語化する、さらに可能ならば数値化したりデータ化したりする努力が必要ではないでしょうか。

野嶋 今日の総括をお二人に伺います。

成田 一つは、賃上げや給与は大事だけれど、それより大事なものがあるという当たり前のところに立ち返ろうという点。もう一つは、賃上げといった話をすると、どうしても人との比較、格差といった話が出ますが、足を引っ張り合わない、人と比較しないのが大事です。

新浪 日本には頑張る社員に報いたいという文化があり、それが働く人の報酬にもっと反映されていくとよいと思います。同時に、「この人でなければ」と思われる経営者がもっと増えれば、そこに報酬もついてくるでしょう。大事なのは構造改革をしながら継続的に資金が上がっていくことです。社会課題に企業が取り組むことによって信頼を得、そして企業の価値が上がるという共助資本主義がその根幹になると思います。

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日本再興ラストチャンス」
経済同友会とビジネス映像メディアPIVOTがコラボレーションし、YouTubeで配信する未来志向の政策トーク番組。「失ってしまった」30年を経て、これからどのように日本を、経済を再興すべきか。毎回1テーマを設定し、経済学者・成田悠輔氏と経営者との対話を通じて、解決に向けたアクションプランを提案します。配信一覧はこちらから

動画はYouTube PIVOT公式チャンネルから

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