私の一文字

2024年11月号

会員の方が思いを込めて選んだ一字に、書家の岡西佑奈さんが命を吹き込む「私の一文字」。
今月は、南壮一郎オープンイノベーション委員会委員長にご登場いただきました。

「壮」を体現することがアイデンティティー

オープンイノベーション委員会 委員長 南 壮一郎
ビジョナル 取締役社長

岡西

 「壮」は、へんが机、つくりがまさかり・斧を表しています。机は高くも長くもなり、まさかりは大きなものを造り上げます。野球への思いも事前に伺い、力強さと飛ぶような勢い、そしてつながりもイメージしながら仕上げました。この文字を選ばれた背景について教えてください。

南 

両親との絆を表す大切な一文字を表現してもらえたらと思い、今回選びました。6歳からカナダで過ごしていましたが、当時はまだ現地在住の日本人は少なく、自分がマイノリティーである環境で育ちました。言葉が通じず、家族だけで過ごす時間や自分自身と対話する時間が増える中、自身のアイデンティティーや、両親が自身の名前に込めた願いについて深く考える機会となりました。

岡西

自身との対話経験について、もう少し伺えますか。

南 

マイノリティーという厳しい立場を乗り越え、人と違うことを良しと思えたことが、自身のアイデンティティーを形成しています。13歳で日本に戻ってきたのですが、今度は日本語ができないという立場でした。環境が変わると正解も変わる。そのときに、自分の本質的な部分に飛び込み、自分自身を理解する必要がありました。変化のたびにこれを繰り返してきたと思います。結果的に、この体験が今の時代のビジネスパーソンに必要な要素であったのかもしれません。一つの環境や業界、働き方に依存するのではなく、時代の変化に合わせて、変わり続けるために学び続けることを大事にしています。大きな志を持ち、前に進むために変わり学び続けることが自分のアイデンティティーであり、「壮」の体現ではないでしょうか。

岡西

困難を乗り越えてきた原動力は何なのでしょうか。

南 

「できる理由を探すことから始めよう」と社内で伝えていますが、不可能なことはないと思っています。何かを志す上で、アクションを起こすことを大切にしてきました。また、仲間の存在が必要不可欠です。最高の仲間と何かを志すことが人生そのものであり、志の源となっています。

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岡西

名前をくださったご両親との思い出はございますか。

南 

私の一つのターニングポイントは、日本の県立高校から米国の大学への進学を希望した時です。当時の日本では海外の情報も少なく、先生方は大反対でしたが、父からは「自分で決めたなら自分で道を切り拓け」と背中を押してもらいました。その言葉は後の人生に大きく影響し、金融からプロスポーツ、そこからインターネット業界へと進んだキャリアの選択にもつながっています。

岡西

最後に、委員長をされているオープンイノベーション委員会の展望について教えてください。

南 

国籍も業種も規模も違う多様なバックグラウンドの人々が集い、日本経済に対してどう影響力を発揮していくかを語り合っていきたいと思っています。新しく多様な経営者の参画が増えるような場づくりも進め始めています。

書家 岡西 佑奈

1985年3月生まれ。23歳で書家として活動を始め、国内外受賞歴多数。
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