私の思い出写真館

2026年7月号

America’s Heartland

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東海 由紀子
Coupang Inc.
執行役員

30代のほとんどを海外で過ごしました。大学院への留学や夫の海外駐在への帯同で、アメリカ各地やソウルなど、人種や文化の異なる地で生活しました。その中で一番思い出深いのは、ウィスコンシン州ミルウォーキー市です。近年は「ラスト・ベルト」と称される中西部の中規模都市です。

90年代後半はまだ中西部の産業の衰退を感じることはなく、ダイバーシティーを意識することも少ない白人中心の社会でした。中西部の人々は他国への関心が薄く、ネイティブではない英語は聞き慣れないようで会話に苦労しましたが、アメリカンフットボールに助けられました。アメフトは、アメリカでは最も人気のあるスポーツですが、日本人には余りなじみがありません。ただ、私は父の影響で子供のころからカレッジフットボールをテレビ観戦しており、通っていた高校にアメフト部があったため、とても身近なスポーツでした。大学卒業後はテレビ局でスポーツ報道に携わっていました。何より、夫は大学・社会人と10年間競技を続け、スーパーボウルを現地解説した経験もあり、大いに関心を集めました。極東のアジア人がアメフトの元選手とは、何か別のことと勘違いしているのではと訝(いぶか)しがられていたようにも思いますが、会話の糸口としては最高でした。

やがて家族ぐるみで付き合うようになったのが、私の通う大学院の教授で、プロスポーツを取材するジャーナリストでした。当時は野茂英雄さんら日本人選手がMLBに挑戦し始めたころで、日本人投手と対戦する試合の会見など、情報収集を頼まれ、ブルワーズのホームゲームに通うようになりました。マーク・マグワイアやサミー・ソーサが次々と本塁打記録を更新する姿を目の当たりにしたことは忘れられません。2 年後ボストンに移り、2 つ目の大学院時代は、中西部での暮らしが格好のネタとなりました。

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大学院の卒業式にて
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スポーツ報道に携わていたテレビ局時代
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アメフト観戦時の1枚



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