私の思い出写真館

2024年5月号

グローバル経営の恩師

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川村 喜久
DICグラフィックス
取締役会長

1986年にDIC(元大日本インキ化学工業)は、米国サン・ケミカルを買収する。当時の円貨換算で、850億円、DICの資本金の2倍以上の買収だった。この買収で、DICのインキ部門世界シェアは13%となり世界トップに、顔料部門でも13%となり世界3位となった。この買収の最大の条件は、経営路線の対立から外部に出ていた、サン・ケミカルの元インキ・顔料事業部門のトップであったエド・バーを復帰させることにあった。私は1991年に米国のDIC Trading USAに出向し、DIC製品の販売を担当した。ニューヨーク大学でMBAを取得後、サン・ケミカルのCorporate Business Development部門で、業界・顧客・競業の分析レポートを各事業部門トップに送る仕事に従事した。私の米国時代に公私にわたって大変お世話になり、薫陶を受けたのが、このエド・バーである。

バーの経営哲学は、「部下と徹底的に議論し、双方が納得したとき、初めて自分のオーソリゼーションが有効になる」というもので、特に予算会議は有名だった。得意先ごとに売り上げ実績、予算を徹底的に検討する場で、時として空が白んだということがしばしばあった。そのためにも、バー自身で可能な限り得意先を訪問し、先方の情報を集め、それを持って研究所を訪れ、技術部門の対応状況を把握していた。バーは積極果敢なM&Aを駆使し、ヨーロッパやアジアの事業領域を拡大、DICのグローバル事業の地歩を強固なものにしたが、彼の貪欲な拡張主義は新しいDIC経営陣の理解が得られず、関係が悪化して会社を去ることになったのは誠に不幸な
ことであった。彼なくして、DICのグローバル化は決して成し得なかった大恩人である。

この写真は、私が2012年にサン・ケミカルの会長に就任した際、息子のエド・バージュニアと共にお祝いをしてくれたマンハッタンのハーバードクラブで撮ったものである。

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(左から)エド・バージュニア、エド・バーとハーバードクラブにて
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エド・バージュニア夫妻(左)、妻(右端)とニューヨーク大学のレセプションにて
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