私の思い出写真館

2024年4月号

恐怖に襲われたチェルノブイリ博物館

201
富田 純明
日進レンタカー
取締役会長

世界の歴史的な会議が行われた場所を廻っており、ウクライナのクリミア半島のヤルタを訪れ、ヤルタ会談のホテルを見学した。

その後、首都キエフ(キーウ)でソフィア大聖堂や聖ミハイルの黄金ドーム修道院などを拝観し、チェルノブイリ博物館を訪れた。その建物内側の壁には何万人もの亡くなった子供達の写真が飾られ、使われた防護服が展示され、ビデオなども見て、恐怖が伝わってきた。絶対にこんな事故を起こしてはいけないと感じ、原発のあるフランスやドイツなどの国を訪れる度に、どのような場所に設置されているか関心を持っていたが、それらの国では都市の郊外に設置されていた。

その後、経済同友会の委員会にて東京電力の役員になぜ日本の原発は地方の海岸に設置するのかを質問したところ、絶対安全ではあるが、その上にも安全を考慮し、地方に設置するので、との答えであった。今、思えば外国の方が安全性を重視していたのではないか。

福島の事故の時、新聞などで短靴で入った後、足を怪我したなどと言っていたが、どこの原発にも防護服や靴は用意されていたはずであり、マスコミの報道に疑問を持った。安全性をフランスなどから更に学び、小型化にしろ安全の上に安全を確かめて、原発を設置するべきと思う。電力が諸工業の元であるのは確かなのであろうから。

チェルノブイリ博物館に展示されている防護服(2004年7月)
チェルノブイリ博物館入口に立つ私(同年月)
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