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牛尾治朗元代表幹事のご逝去の報に接して

公益社団法人 経済同友会
代表幹事 新浪 剛史

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 牛尾治朗元代表幹事のご逝去の報に接し、慎んでお悔やみ申し上げます。

 牛尾元代表幹事は1959年に経済同友会に入会され、70年代以降は、幹部として佐々木直・石原俊・速水優の三代の代表幹事を支え、19954月に代表幹事に就任されました。「変革の時にリーダーシップをとれる最適の人」と速水前代表幹事よりバトンを受けた牛尾元代表幹事は、21世紀の日本のために「世界への参画」と「市場の再設計」を軸に日本経済を再生することを唱えられました。

 当時、国内では、バブル経済が崩壊し、金融機関が不良債権を抱える中で、世界経済は、グローバル化が進展し、市場の一体化が加速していました。日本固有の経済システムが大変革を迫られていた時代に、牛尾元代表幹事は、危機感と改革への強い決意をもって「日本の経済システムを、先進諸国と共通のルールによって運営される透明な市場経済に転換すべき」と主張されました。市場を最も重視すべき拠り所とする企業行動の確立を求めた『市場主義宣言』は、内外から大きな注目を集めました。

 牛尾元代表幹事は、民間活力を引き出すための構造改革として、橋本政権の行政・財政・社会保障・経済構造・金融システム・教育の6大改革を積極的に支持し、改革を強力に後押しされました。提言や意見の発表のみならず、牛尾元代表幹事が率いる経済同友会の当時の主だった幹部が、様々な政府の会議体に参加するとともに、民営化組織の責任者に就任されました。牛尾元代表幹事曰く、「これらの方々が、ミュージカルのキャッツのようなアンサンブル型で、自由化路線のフロンティアとして活躍」されたことは、まさに改革を先導する政策集団らしい、経済同友会の真骨頂でありました。

 牛尾元代表幹事が示したベクトル、「相互依存体質から脱却し、自らの意志と責任で創造的な経営を行うべき」といった市場主義は、「経済同友会にとって、新しい歴史の始まりを象徴したコンセプト」でした。まさに、牛尾元代表幹事は、経済同友会の歴史に、輝かしい一つの時代を築かれました。

 運営面では、若手経営者に発言の機会を与えていくことが育成につながり、多様な参加を得ることが本質的な議論になると、若手経営者や新入会員、外国人会員が積極的に議論に参加することを非常に重視されました。

 牛尾元代表幹事は、講演では、「to do good の前にto be good」「俗望を捨て、雅望に生きよ」をよく用いて自分を戒め、「霧の中を歩めば、覚えざるに衣湿る」を心に刻み、人との出会いやご縁を大切にされることの重要性を説かれました。このように人間的魅力溢れる牛尾元代表幹事だからこそ、経済界や政界を超え世代を超えて、多くの方々に慕われ、愛されていたのだと思います。

 今、ウクライナ危機を契機に国際秩序と世界経済が難しい局面に直面しており、日本経済も変革の最後のチャンスを迎えています。牛尾元代表幹事が大転換期に立ち向かったように、経済同友会の代表幹事に求められているものは、創造的破壊、常識を打ち破ることです。偉大な大先輩の志を受け継ぎ、私たちはこの危機を乗り越えて持続可能な社会を築いてまいります。生涯をかけて改革に果敢に挑戦し続け、日本経済の発展に貢献された牛尾元代表幹事の遺志を胸に、在りし日を偲びつつ、改めて新しい国造りへの貢献を決意したいと思います。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

以上

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