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速水優元代表幹事のご逝去の報に接して

社団法人 経済同友会
代表幹事 桜井 正光

速水優元代表幹事のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。

速水さんは、1991年(平成3年)4月、「時代への挑戦」を掲げて代表幹事に就任され、「世界」、「市場」、「創造」を座標軸として、経済同友会の方向性を定められました。爾来4年間、国際経験豊かな良識と揺らぐことのない強い信念で、規制緩和・撤廃や構造改革の加速、市場経済の探究と日本の再構築を求め続けられました。

当時世界は、東西冷戦の終結、市場経済の拡大という激動のなか、新しい秩序を模索し、向かうべき方向の定まらない混乱期にありました。また、国内でも、バブル経済の崩壊が始まり、戦後続いた自・社対決の55年体制が崩れて政治が大きな変革期を迎えており、経済同友会自体も行く先を模索していた時代でした。

そのなかで速水さんは、何が起こっても世界全体の流れをフォローし勉強しながら、「しなやかに考え、タイミングよく大胆に行動する」という姿勢で、企業や業界を越えた個人の立場で大いに議論し、そのなかで持論を確立する、また、議論の過程で経営者の意識を改革し、情報を交換するという経済同友会の設立趣意の精神をまっとうされていました。

速水さんの強い意志に感服したのは、自国通貨が信用され買われていることを表す円高が国難と捉えられていたなか、輸出主導で経済成長を遂げてきた戦後日本の経済構造が変わる時期との見解を明示され、「通貨が強くて滅んだ国はない」と、問題提起を続けられていたことです。

また、政治についても、1994年1月に政治改革法案が参議院本会議で否決されるとすぐに臨時理事会を招集し、政治空白による経済悪化を避けるべく見解を発表されました。その日の夜に細川首相(当時)・河野自民党総裁(当時)のトップ会談が実現し、翌日の衆参両院協議会を経て関連法が可決成立しました。このような大きな政治改革の流れを牽引されたことは、真の意味で国益と日本の変革を追求されていた姿勢を示していると確信しています。

いま、世界は未曾有の金融危機、経済危機に直面し、わが国の政治・経済ともに行方が見えず混迷を極めています。いまこそ助言をいただきたい大先輩を失ったことに言い尽せぬ悲しみを覚えますが、つい1年ほど前までしばしば会合にご出席されていたお姿と、経済同友会や市場、経済に対する深い想いと情熱を偲びながら、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

以上


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