私の思い出写真館

2025年12月-2026年1月号

思えば遠くへ来たもんだ

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渡辺 治子
アメリカンホーム医療・損害保険
取締役社長 兼 CEO

早生まれの未熟児だった私は、幼い頃は大人しい子どもだった。わらび餅売りのおじさんに子どもがわっと群がる中、一番後ろに下がってしまい、おじさんが最後に大盛りをくれると、半べそが笑顔になった。田舎から東京の大学に進学した際も、都会の雰囲気に呑まれ、「同級生についていけないから、たぶん実家に帰ると思う」と母に電話をかけた。

無事卒業後、日本銀行に総合職として入行した私は、いわゆる男女雇用機会均等法第一世代。就職できた喜びを噛み締めつつも、制服を着て大量のコピーをとりながら、将来に漠然とした不安も感じていた。今から振り返ると、明らかにスイッチが入ったのは、1997年に起きたアジア通貨危機だ。当時は数多くの外国銀行が日本で営業しており、一斉に資金調達が厳しくなった。私は日本銀行で係長クラスだったが、外国銀行の資金繰りのモニタリング、深夜のG7中央銀行会議など、文字通り無我夢中で、なんとしても東京市場発のデ
フォルトを防ごうとチームで奮闘した。その時は、性別、年齢、国籍、全く関係なかった。その後、二度の転職を経て、現在は外資系保険会社の社長を務めている。

環境が変わる度に戸惑っていた私がここまで来られたのは、多くの方々が援助の手を差し伸べてくださったお陰だ。大学卒業後もずっと気にかけてくださった石川経夫先生、文章の書き方を一から教えてくれた日本銀行の先輩、カルチャーが全く違う中での振る舞いをニューヨークの週末に指導してくれた投資銀行の上司、そして今は、聞いていると涙が出るぐらいお客さまに真摯に向き合うコールセンターの社員など、本当に多くの方に支えて頂いた。これからも道は続いていくけれど、これからの道では、自分ももっと手を差し伸べることができるようになりたいと願っている。

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5~6歳のころ父と
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日本銀行の同期と
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長崎サービスセンターにて
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