2025年10月号
素晴らしい出会いで彩られた日々

Ridgelinez
取締役会長
私が生まれた頃の日本は未だ「戦後」を引きずっており、外資系企業の経営者であった父も私も、日本という国の素晴らしさ、日本人の優秀さを世界に認めさせたいという想いが強かった。1980年代後半という日本的経営が礼賛されていた時期に留学できたことは、自分自身のキャリア形成においては全くの僥倖であり、ノースウェスタン大学のケロッグ校に希望通り合格でき、数々の得難い国内外の友人とも巡り会うことができた。欧米人もアジア人も当時の日本経済躍進の理由を日本人学生から聞きたがっており、彼等に説明していく中で自分の考えを再整理するという、私自身のキャリア形成においても貴重な経験を得ることができた転換期でもあった。
卒業後は、外資系戦略コンサルティング会社に勤め、その後の人生の大半をコンサルタントとして過ごしてきた。自分の人生・キャリアは自分で作り上げると息巻いており、肩に力が入っていた30代から40代前半であった。良い仕事も沢山できたと自負していたが、実際にはお客様にも周囲にも家族にも迷惑ばかり掛けてきたのだと、今になっては恥ずかしく思う。50代から現在までは周囲に支えられながら「経営コンサルティング会社の経営」という稀有な経験を積ませていただいた。およそ5年前に旧友の声掛けで最初の就職をした富士通グループに35年ぶりに復帰するという全く予期していなかったキャリアを歩み、現在は富士通グループのコンサルティング事業の立ち上げと成長を支援する立場にある。
結果的には、全くもってキャリアを自分で作れてはいなかったが、お客様や業界の諸先輩方、現在の伴侶も含め、数多くの素晴らしい人々に出会い、支えられてきた「実り多い自然体の人生」だった。これからは、次世代を担う経営者・組織リーダー育成に貢献したいと勝手に思い込んでいる。


