- トップページ
- 東京オリンピック・パラリンピック招致推進
- メッセージ
- 福原 愛 氏
福原 愛 氏
(ANA所属/卓球女子日本代表 ロンドンオリンピック銀メダリスト/
「IPPO IPPO NIPPONプロジェクト」サポーター)
子どもたちの夢へとつながるオリンピック
私は3歳9カ月で卓球のラケットを握り始めました。きっかけは10歳上の兄が中学生になり卓球を始めたことでした。兄の練習で家族は卓球中心の生活となり、かまってもらうためには「私も仲間に入ることだ」と考えた3歳の私は、母に「私もやりたい!」と何度も訴えたそうです。
物心が付くころには卓球の練習をしていましたが、そのころから「大きな目標」や「夢」があったわけではありませんでした。5歳の時に全日本選手権バンビの部(小学2年生以下の部)で初めて優勝したのですが、そのことよりも、自分よりも大きな子たちに勝つと周りの大人がとても驚いて褒めてくれるのが、とてもうれしかったのです。当時の目標はラリーを1,000本続けることや、新しい技をマスターして褒めてもらうことであり、「勝つこと」が目標ではありませんでした。
そのような私が「オリンピック」というものを初めて感じたのは、1996年のアトランタオリンピックでした。当時7歳の私は、実際に会場を訪れて日本代表を応援させてもらいました。会場がきらきらと輝いていて、間近で観戦した私は幼いながらも「世界で一番大きい大会」を実感し、その時に「いつか私もオリンピックに出たい」という大きな夢を持つことができました。
「大きな夢」を抱いた私は、14歳で出場した世界選手権パリ大会において、シングルスベスト8に進出しました。そして翌年の2004年に開催されたアテネオリンピックに15歳で出場し、ベスト16まで勝ち進みました。幼いころからの夢であった「オリンピックに出たい」という夢をかなえた瞬間でもあり、その時の気持ちは一生忘れない思い出になっています。
オリンピック出場を果たしてからは「大きな夢」は「具体的な目標」に変わっていきました。幼いころは自分本位で卓球をしていましたが、日本代表として出場させていただく立場となってからは、競技と向き合う意識も、年齢とともに成長したと感じています。2008年には北京オリンピックも経験させていただき、オリンピックは出場するだけではなく、やはり「メダルを獲る」という強い気持ちが必要だということも学びました。
そして2012年ロンドン。3歳で卓球を始めてから20年となる節目の年、オリンピックで銀メダルを獲得することができました。今振り返ってみると、7歳でオリンピックを観戦できたことは、私にとって人生を変えるほどの出来事だったのかもしれません。
2020年オリンピック・パラリンピックが東京開催となれば、多くの方々がオリンピックという「夢の舞台」を間近で観戦できます。きっと多くの方々に夢や希望を与え、たくさんの子どもたちの未来へとつながると思います。ぜひオリンピックが東京開催となるように私も応援しています。
(「経済同友」 2013年3月号より)