ページの先頭です

ページ内を移動するためのリンク
本文(c)へ
グローバルナビゲーション(g)へ
ローカルナビ(l)へ
サイトのご利用案内(i)へ

ここからグローバルナビです。

グローバルメニューここまでです。

ここから本文です。

山下 泰裕 氏
(東海大学 副学長/ロサンゼルスオリンピック 金メダリスト)

東京オリンピックの感動が私の原点だった

1964年東京オリンピックの際、私は熊本の山中に住む7歳の小学生だった。放課後はテレビの前にかじりつき、日本選手を応援した。重量挙げの三宅義信選手、男子体操、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレー、マラソンの円谷幸吉選手の活躍は今でも印象に残っており、その後の私の人生に非常に大きな影響を与えた。

実はその時はまだ柔道を知らなかった。柔道と出会ったのは小学 4年生の頃で、「大変な問題児」だった私には堂々と暴れられるぴったりの競技だった。柔道の激しさに惹かれ、素晴らしい指導者にも恵まれた私には、オリンピック出場のチャンスが 3回あった。76年モントリオール、80年モスクワ、84年ロスである。しかし、モントリオールは補欠に終わり、2度目のモスクワは、ソ連のアフガニスタン侵攻で日本は参加をボイコットするに至った。私は「幻のオリンピック選手」の 1人になった。

その時、松前重義先生(当時東海大総長)から「モスクワオリンピックを見に行かないか」とのお誘いを受けた。ありがたいお話だったが、私の心には二つの不安があった。一つは「日本がボイコットしたのに行ってはたたかれるのでは」という不安、もう一つは「会場を見た途端無念の思いに駆られるのでは」という不安だ。友人に「心配するな」と励まされた私は、行くことに決めた。

結果、マスコミにたたかれることはなかった。加えて、無念な気持ちも起きなかった。世界の多くの柔道家たちが、私に声をかけてくれた。当時右足腓骨をけがしていた私は、「大丈夫か」と、逆に励まされたのだ。この時初めて、スポーツによる友好親善を肌で感じることができた。すっきりした気持ちで、私はロスを目指すことになった。

オリンピックの頂上決戦で得たフェアプレーの精神

ロスオリンピックでは、やるべきことをやり尽くして、参加したはずだった。しかし2回戦、右ふくらはぎを肉離れしてしまった。右足で勝負してきた私にとっては、深刻なダメージだった。苦しい中をなんとか決勝まで進んだが、佐藤宣践監督が「投げられろ。一本取られなければ負けないから、それからしがみついて勝て」とおっしゃるほど、傷は深刻だった。

しかし予想外の出来事が起きた。決勝の相手は、エジプトのラシュワン選手。開始直後、彼は技を空振りし、その勢いで倒れたのだ。そのまま抑え込み私は勝ったが、それは 100回に一度あるかという幸運な勝利だった。

ラシュワン選手は試合後、記者に「なぜ右足を攻めなかった」と突き上げられた。しかし彼はこう答えた。「アラブ人の誇りだ。あのヤマシタに、そんな卑怯なことはできない」と。

周囲の人間は皆、一転して拍手を送り、彼はユネスコのフェアプレー賞を受賞した。

オリンピック選手は皆、国の誇りを胸に全力で試合に臨む。徹底的に戦う。しかしひとたび試合を離れると、同じ目標に向かって努力した相手を理解し、尊敬することができる。そうして得た人間関係は、一生の宝となった。

ともあれ私は、オリンピックの表彰台の一番上に立つという夢をかなえることができた。中学2年生の時から、「柔道の強い高校、大学に進み、オリンピックに出たい。オリンピックに出たら、表彰台の一番上でメーンポールに掲げられた日の丸を見ながら、君が代を聞きたい」と、願ってきた。金メダルが欲しいのではなく、日の丸と君が代が夢だった。それは間違いなく、東京オリンピックの時に見たあの感動を追っていたからだった。多くの人の支えと励ましで夢を実現できた自分は、世界で一番幸せな男だと思った。

夢を持つ素晴らしさを訴え日本の素晴らしさを訴える大会に

このように私は、自分の夢を達成するためにオリンピックを戦った。だから金メダルを獲った後が、社会への恩返しの始まりだと思った。

夢を持つこと、持ち続けることの大切さは、どんな世界であっても非常に大きな意味がある。次の世代が夢を持てる社会にしていくことは、われわれ大人の責任だ。

64年大会の頃、日本は発展途上国そのものだった。しかし、子どもたちの目は輝いていた、夢を持っていた。そういう社会を、われわれはつくらなくてはならない。2020年大会招致を通して、私は子どもたちに夢、明るい笑顔を描ける環境をつくっていきたいと思っている。

そして、スポーツのフェアな精神も訴えていきたい。私が会長を務めている神奈川県体育協会では、「フェアプレーの精神を日常生活でも」を合言葉にしている。スポーツの力で、フェアで思いやりにあふれた世界をつくりたい。

私は06年、柔道を通じた国際交流を行うためのNPO法人「柔道教育ソリダリティー」を設立した。柔道用品の配布や指導者・選手の受け入れ・交流などを通じて、「柔の心、和の心、日本の心」を世界に発信していきたいと考えている。

日本は、もっと自信を持ち、日本の素晴らしさを世界に訴えていくべきだ。英BBCの調査では、日本は「世界に良い影響を与えている国」第1位である。東日本大震災の混乱の中、秩序を乱さず、思いやりの力で復興しようとしている日本。私はオリンピック・パラリンピック招致を通じて、日本の心を世界に知ってもらいたいと思う。

(「経済同友」 2013年2月号より)

ローカルナビここまでです。

ここからサイトのご利用案内です。

スマートフォン版サイトに戻る

サイトのご利用案内ここまでです。