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経済同友会「一票の格差是正推進委員会」講演会より

■日 時: 2004年4月26日(月)14:00~16:00
■議 題: 「一票の格差に関わる問題点と是正に向けた方法論」
■講 師: 弁護士 山口邦明 氏
  弁護士 森 徹 氏
■講演内容要旨:  

Ⅰ.山口邦明 弁護士 講演要旨

2004年7月の参議院選挙を念頭に置き、本日は参議院選挙を中心に、「一票の格差」の問題につきお話しする。

1.二院制と一院制:諸外国の例から
1993年現在で、世界170カ国のうち、一院制の国は120カ国で、二院制は意外に少ない。しかしOECD加盟国のうちで比較的日本の国情に近いと思われる14カ国、及び非加盟の大国4カ国を検討すると、日本を含む14カ国のうち、二院制12カ国、一院制2カ国となる。主要先進国では、二院制の国が多くなっている。(田村公伸氏「二院制の新たな改革」議会政策研究年報第2号[1995.9]より)
それらの国の「上院」の選出方法をみると、①「貴族」により構成されるのがイギリス、その他は、②「各州に何人」と地域に同数の議員を割り当てる方式、③地方自治体の議会の議員によって国の上院議員を選ぶ間接選挙方式、をとっている国などがある。

2.二院制と一院制のどちらが良いか?
それでは、二院制と一院制のどちらが良いのか。
(1)理論的視点:
①シェイエス説:理論的にはまずシェイエスの「第二院有害論」がある。「第二院は、代議院(下院)に一致すれば無用であり、代議院に反対すれば有害となる」というもの。この意見は、「民意を代表する代議院」と「民意を反映しない第二院」という対立を前提にした主張であろう。仮に、2つの院とも民意を反映すれば、シェイエスの批判は、必ずしも妥当しないことになる。
②パジョット説:二院制をとって、2つの院とも民意を反映するような議会を作った場合、第二院の存在意義があるのか、ということになる。パジョットが言うように、「もし完全な下院があれば、上院は、間違いなく、殆ど無意味になる」。一つで十分で二つは要らないということ。
しかし現実には「完璧な下院」を期待できないから、第二院を設けることも、それなりに有用かつ必要であるとも言える。
結局、現在では「第二院は、一院の暴走を抑えて、異なる角度から再検討する機能を期待されている」、つまりいわゆる「補充・抑制機能」があるから有用というのが、第二院を認める理論的根拠になっている。
(2)法律的視点:
しかし我々法律家にとってみれば、こうした政治論よりも、国の法律で二院制を採用しているかどうかが問題となる。日本は、憲法42条で衆参の二院制を採用しているので、憲法改正を議論するならともかく、今の時点では「二院制は当然のこと」という前提で議論している。
現行憲法の成立過程をみると、明治憲法下の「貴族院」の存続を図りたい日本政府と、民主化を図りたいとして一院制を主張するGHQが、激論を交わした。日本政府は、任命制や間接選挙制や職能代表制などの案を出したが、GHQは受け入れず、結局、「国民による直接選挙ならば良い」ということで、ようやく二院制が認められた。このように参議院は、双方の妥協の結果できたもので、わが国憲法は、衆議院と参議院に間に、被選挙権(立候補者の年齢)以外、選挙(投票)について何の違いも認めていない。

3.アメリカの議員定数是正訴訟
日本で議員定数是正訴訟が起こっているが、その参考となったのはアメリカの議員定数是正訴訟である。
アメリカは連邦制であり、議会も「連邦議会」と「州議会」の2層制になっている。そして、連邦に上院と下院があると同様、各州議会も上院と下院を持っている(ただし上院の無い州が1州ある)。
実はアメリカでも、1900年頃から、徐々に議席配分や選挙区割りをめぐって訴訟が起こっていたが、裁判所はなかなかその訴訟を取り上げなかった。特に1945年の「コールグローヴ」事件判決が有名で、「(議席の)再配分に関する事件は“政治上の問題”であり、裁判所は政治の茂み(領域)に立ち入るべきでない」と、裁判所は門前払いを繰り返していた。
こうして裁判所が扱わないため、アメリカの議会の議席配分は非常に不平等な状態で放置された。例えば、1960年のアラバマ州議会では、「一票の価値」の最小最大比が、上院で41倍、下院で15倍と、現在の日本以上の格差があった。他の州も数倍~数十倍の格差があり、極めて不平等な議席配分であった。特に、農村部に多く配分され、都市部に少ない配分であった。1960年代までは、アメリカでもこのような状況で、都市部住民からの不満が高まって、多くの訴訟が提起されるようになった。

<1960年 アラバマ州議会の例>

一票の価値の最小対最大比
議席過半数獲得のための最小人口
上院
41倍
25.1%
下院
15倍
25.7%

*注:「過半数獲得のための最小人口」とは、有利区(投票価値の高い選挙区)の人口から順に累積して、最小何人集まれば議会の過半数が獲得できるか示した数値。上記の場合、全人口の約25%、すなわち4分の1の人々がまとまるだけで、理論上、議会の過半数の議席が取れることを意味する。アメリカでは、定数不平等の判断基準として重視される。ちなみに日本の衆議院は42%位である。

アメリカが大きく変わるきっかけとなったのが、1962年3月26日の「ベイカー事件」判決である。この時、連邦最高裁が、「憲法の平等保護条項(日本でいう「法の下の平等」)の下、(裁判所は)州議会の再配分を審査する権限があり、政治問題として理解してはならない」と述べた。この事件は差戻し判決で具体的数値には言及しなかったものの、議席再配分について初めて裁判所の門戸を開いた画期的な判決で、アメリカにおいて「20世紀の二大判決」の一つと言われている。(ちなみに、もう一つは、公立学校教育における黒人差別を違憲であると宣言した「黒い月曜日」判決[1954年5月17日]。)

そして、このベイカー判決が日本にも影響を与えた。昭和37年3月に出た「News Week」誌にこの判決が載った。それを読んだ日本の裁判官が、裁判所で修習していた一人の司法修習生に、「アメリカではこんな判決が出たそうだ」と言って、その雑誌を渡した。その雑誌を渡された司法修習生こそ、日本の定数是正訴訴訟の「元祖」として有名な越山康弁護士であった。越山弁護士は、早速、昭和37年7月に施行された参議院選挙(最小最大比4.09倍)につき選挙無効訴訟を起こした(この事件は昭和39年に最高裁で「合憲」を理由に棄却された)。 大変興味深いエピソードである。

4.日本の「選挙無効訴訟」
選挙に関する訴訟は、国や都道府県を相手にする「行政訴訟」である(実際の被告は選挙管理委員会)。行政訴訟は、限定列挙主義で、法律の認めた訴えしか起こせない。しかし、公職選挙法には、議員定数の配分の不平等を直接争うことを認めた規定は無い。認められているのは204条の選挙無効訴訟だけで、選挙が行われた後、その「無効」の訴えを起こすことができる。しかし、自分の選挙区だけで、全国の選挙区全ての無効を訴えれるわけではない。また、普通の裁判は、「地方裁判所→高等裁判所→最高裁判所」と三審制だが、この204条に基づく裁判は「高裁→最高裁」の二審制となる。ある意味、特別な訴訟である。
越山弁護士は、この204条に基づいて、日本で初めて選挙無効の訴えを起こしたが、よく通ったと思う。アメリカでは50~60年拒否され続けていた訴訟が、日本では、公選法に明確な規定が無いにも拘わらず、高裁も最高裁も門前払いをせず、真正面から受けとめ、最初から中身を審理した。そして最高裁が昭和51年4月に違憲判決を出した時、「この訴訟は特殊な訴訟で、定数是正訴訟と呼ぶ」と名付けた。特殊な訴訟であるが、日本の裁判所は、最初からそれを認めてきた。これは評価すべきであろう。

参院選につき、過去の最高裁(大法廷)の判決をみると、以下のようになっている。

選挙実施年
最小最大比
判決年
内 容
1962年
4.09倍
1964年
合憲
1977年
5.26倍
1983年
合憲 11人、違憲状態1人、違憲1人
1992年
6.59倍
1996年
違憲状態8人、違憲7人
* 1994年:制度改正(「4増4減」、逆転現象の解消)
1995年
4.97倍
1998年
合憲10人、違憲5人
1998年
4.98倍
2000年
合憲10人、違憲5人
2001年
5.06倍
2004年
合憲9人、違憲6人

 

①判決の種類
内容的に判決のパターンを幾つかに分けることができる。

選挙無効判決 ・選挙を無効とする判決。再選挙(選挙のやり直し)を行うことになる。
事情判決
・選挙の違法は宣言するが、無効にはしない。
・訴訟の起こされた選挙区だけが無効になって、他の選挙区はそのまま有効ということになるのでは、社会に混乱が予想されることを考慮したもの。
違憲状態判決 ・「確かに議席配分は、憲法に違反するほど不平等であるが、しかし、国会がその是正を検討する期間が過ぎていない」というもので、違憲状態であることは認めるが、結果的には選挙を有効とする。
合憲判決 ・議席配分は著しい不平等とは言ないというもの。

そこで、「無効判決」を実際に出すことが可能なのかという疑問が出る。
実は、昨年(2003年)行われた佐賀市議会議員選挙について、ちゃんと最高裁で「無効」が確定している(2004年3月30日 最高裁第三小法廷判決)。選挙の無効が確定し、再選挙が行われたという実績はある。国会だからといって、再選挙できないわけではない。

②違憲の「境界線」
1992年参議院選挙の6.59倍の格差について「違憲状態」という判決が出たが、その他は全て「合憲」判決である。ここから、最高裁は、「参議院については、一票の格差が6倍を超えたら違憲」と考えているのではないかと推察できる。では、なぜ6倍が憲法違反で、5倍が憲法違反でないのか?衆議院の判例を見ると、「格差3倍」を超えると最高裁は違憲と言っているので、「衆議院の2倍まで可」とも読み取れる。
しかし2004年1月14日の大法廷判決は、この「6倍基準」を突き崩すような状況が出てきている。2004年7月の参議院選挙も、我々は当然、訴訟を起こそうと思っているので、変化の出ることを期待している。

5.「参議院の特殊性」論
(1)参議院は地域(都道府県)代表の性格があるのか?
最高裁は昭和58年判決の中で、「参議院議員の地方区150名を最初に都道府県に配分した時(昭和22年)、まず各都道府県に2名ずつを別枠配分し、残りの議員を人口に応じて配分した」と認定し、格差を「合憲」とした。
しかしこれは、最高裁の完全なる事実認定の誤りであった。最初の参議院の議席配分は、最高裁の認定とは異なり、全部の議員を都道府県の人口に比例して配分した。
この判決は、その後の衆議院の1名別枠配分にも影響し、衆議院の格差温存に繋がった。日本の民主主義に悪影響をもたらした誤判である。現在では我々の指摘に基づいて、最高裁も、認識を改めている。

(2)アメリカの「レイノルズ」事件(1964年6月15日 連邦最高裁判決)
アメリカのアラバマ州議会の上院の議席配分が連邦憲法に違反すると判断した「レイノルズ事件」で、ウォーレン裁判長の書いた多数意見は有名である。
「立法者は、木や土地ではなく、人民を代表する。立法者は、農場や都市や経済的利益によってではなく、有権者によって選出される。・・・住む場所のために投票のウェイトが薄められるのは、人種や経済的地位に基づく不愉快な差別とまったく同様に、修正第14条(平等保護条項)のもとにおける憲法上の諸権利を侵害するものである。」

「立法者は、木や土地ではなく、人民を代表する。」というフレーズは非常に有名であるが、これが、下院でなく、上院についての判決であることが重要である。
アメリカの最高裁の判例はこの頃ほぼ確定し、全国50州のうち約40州で70件ぐらいの訴訟が起こった。立法府もそれに応じて、約20ヶ月(2年弱)の間に、多くの州が定数を是正した。「再配分の嵐」と呼ばれている。

(3)半数改選のためには偶数配分が必須か?
参議院議員を都道府県へ人口比例で配分すると、奇数の配分が生じる。多くの人は、「日本の参議院は半数改選制なので偶数配分が必要であり、そのために、参議院の定数是正は難しい」という意見である。
しかし、アメリカの連邦上院は、各州2名の議員で、2年ごとに3分の1ずつを改選している。「2は3で割れない」と、日本人は不思議がる。しかし50州を3つのグループに分けて選挙をしている。フランスも同様で、100県を3グループに分けている。オランダは 4つの選挙区を2つずつに分ける。この3カ国は日本と方式が違うのである(オーストラリアは基本的に日本と同じ方式)。全選挙区を半数ずつ改選する必然性はないのであって、日本でも、選挙区を2グループに分けて選挙をすればよい。

アメリカ 連邦上院

・2年ごとに 1/3 改選
・50州を3つのグループに分ける

フランス 上 院 ・3年ごとに 1/3 改選
・100県を3つのグループに分ける
オランダ 上 院 ・3年ごとに 1/2 改選
・4つの選挙区を2つずつに分ける
オーストラリア 上 院 ・3年ごとに 1/2 改選
・各州の配分議席を半数ずつ改選

どうしても各選挙区内の半数改選に固執するのであれば、2つ以上の県を一つの選挙区に「合区」しないと投票価値の平等は達成されない。ちなみに、我々は 独自の「合区案」を訴訟の中で提案している。



Ⅱ.森 徹 弁護士 講演要旨

1.「投票結果の平等」と「投票価値の平等」は異なる
「ある県では何万票で当選し、別の県では同じ票数でも落選する」と新聞によく出る。これは「入れた票が議員の選出にどれだけ生きているか」ということで、「投票結果の平等」の問題である。分かりやすく言えば「死票をできるだけ少なくすること」である。「投票結果の平等」を確保しようとすると、自ずと選挙制度が決まってくる。論理的には「全国一区の比例代表制」にならざるを得ない。しかし憲法は、そこまで要求はしていない。
我々もこの問題を問うて訴訟をしている訳ではない。我々が訴えているのは「投票価値の平等」である。「投票価値の平等」とは「投票所に行く前に決まっている格差」である。定数配分規定が改定されたら、その瞬間に「投票価値の不平等」が明らかになる。
しかし日本の裁判は、具体的な事件が起こってからでないと裁判を起こせない。ドイツなどは、法律ができた段階で、具体的事件が起きていなくても訴えられるが、日本は、法律ができただけで訴えることはできない。そのため我々も、選挙が行われるのを待って、その都度、裁判を起こしている。その訴訟の形態も、公職選挙法204条という、本来この訴訟のための規定でないものを「借用」(類推適用)して使っている。日本の場合は、反対意見もあったが、米国での判例があったために、訴訟自体は意外にも簡単に認められた。
どこに住んでいても、「国民何人で議員一人」と、同じように選ばれるようにしようということ、それが「投票価値の平等」である。「投票価値の平等」は結局、議席配分の問題、或いは、小選挙区ならば区割りの問題である。

2.憲法は「投票価値の平等」をどのように保障しているか
日本国憲法では3ヶ所に言及がある。
・「両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。」(43条2項)、
・「両議院の議員及び選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。」(44条)、
・「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」(47条)
いずれも「法律でこれを定める」となっている。これが国会の「立法裁量論」に繋がっている。

更に、日本では憲法に明確に「人口比例」の原則が書かれていないことが、広い「立法裁量論」を後押ししている。
アメリカの場合、まず連邦下院については、(修正第14条で少し変更されているが)合衆国憲法第2条3項に、「人口に比例して配分する」という趣旨が書かれている。連邦上院は「各州2名」(つまり人口比例ではない)ということが書いてある。
一方、州議会については「人口比例」が明確になっていなかったため、先ほどの山口弁護士の話にあったように、裁判が多く起きた。そして修正第14条の「平等条項」に基づくべし、ということになっている。
イタリアでは、我々の主張する「基準人数論」(後述)と同じ考え方に基づく配分方法がきちんと憲法に書いてある。ドイツも、憲法ではないが、法律で人口に比例した配分方法が定められている。

3.我々の主張:「基準人数論」
裁判所は、最小と最大を比べて合憲・違憲を判断する「最大較差論」を採っている。しかしこの方法の問題は、2つの選挙区しか比べないこと、例えば、衆議院の選挙区が300ある中で、最小と最大の2つだけ比べて、他の298はどうなっても知らないということである。このため中選挙区では、逆転現象が発生し、多くの選挙区がひどい状態になっていた。
しかも、「最大較差論」であっても、公式見解として裁判所が具体的数字を示したわけではない。デファクトで「衆院3倍、参院6倍までは合憲」といっているだけである。では「3」とか「6」の根拠は何か? 「1対2未満」ならまだしも、3や6に根拠など無い。感覚的なものだ。感覚的判断ではなく、客観的基準があるべきだ。
そのため我々は「最大較差論」を批判し、「基準人数論」を提案している。簡単に言えば、議員定数を「人口比例配分」することである。人口配分に基づく「理想モデル」を作って、現実の定数と比べている。例えば、本来は、参議院選挙区選挙で、東京は14議席があっていいものが、現実には8議席しかない。こういう、本来あるべき数より少ないものを「代表の欠缺」と呼び、逆に多い場合を「過剰代表」と呼んでいる。こうして一つ一つの選挙区を検証しようというのが我々の姿勢である。
「基準人数論」は我々が急に言い出したことではない。有限な議席数を公正に配分するためには「人口比例配分」は当然の原則である。日本でもこの考え方が、歴史的に当たりまえのように採られていた。
大正14年に「衆議院議員選挙法」ができた。男子普通選挙の始まりだった。その時、まず第一次的に、都道府県に対して人口に比例して議席配分を行い、その後、各都道府県に配分した議席数を、都道府県内の各選挙区(中選挙区)に割り振った。また、戦後、昭和22年の「参議院議員選挙法」でも、当然のよう人口比例配分が採られた。このように戦前でも人口比例の考え方が当たり前のように採られていた。
しかし、徐々に格差が拡大するにつれ、「最小と最大の両極端だけを是正する」といういわゆる「何増何減」の方法をとってきたために、当初の「人口比例配分」原則が段々崩れていった。
参議院については、平成8年、10年、12年、14年と、2年ごとに最高裁大法廷判決が出ている。しかも選挙制度がさほど変っている訳ではない。これは、参院の特殊性発揮に向けた参院改革への最高裁のメッセージだと思う。選挙区選挙の選出議員の代表としての特性を、もう一度、本当に真剣にしていかないといけない時代がきている。
都道府県単位という選挙区制を維持するのか、或いは偶数配分を維持するのか。これが議論すべきである。

4.格差是正に向けた展望
最初から完全な改革は期待しないほうがいい。鳴り物入りで成立した平成6年の改正法で、衆議院議員選挙制度が改正されたが、そこで目指した政策本位・政党本位・二大政党制は実現していない。大上段に振りかぶった政策論議ではなく、小さくとも良いから、定数の問題だけでもとりあえず解決して欲しい。
衆院議員選挙の場合は小選挙区制、つまりは選挙区の「線引き」の問題であり、比較的やりやすい。ところが参院議員選挙は、1対1を実現するのは非常に難しい。2004年1月14日判決の事件についても、我々は、 ①現行制度を前提とした人口比例配分の案 ②偶数配分をやめて都道府県単位は維持した人口比例配分の案 ③偶数配分は維持して都道府県の線を維持しないという案と、小規模な変更で改正可能な案を3つ出した。しかし、現行の「偶数配分&都道府県単位」を両方維持すれば、どんなに小さい県にも2議席を与えないといけないことになる。茨城は人口の多い10~11番目だが、茨城でも2になる。これで人口比だけで4.7倍ぐらいになってしまう。現行制度を維持したままでは1対1の実現は非常に難しい。「偶数配分と都道府県単位」をどうするか議論しないと、一票の格差解消はできない。
加えて、人口比例配分が実現しても、また次の問題がある。定数2の県では、毎回の改選は半数の1人で、実質的に「小選挙区選挙」となり「多数代表」となる。しかし、議席の多い都道府県では中選挙区制の「少数代表」で、代表の選出原理(性格)が違ってくる。このように参議院は悩ましい問題が沢山ある。

5.格差是正の具体的方法論
「一票の格差」の問題は、なぜ恒常的に国民の関心を惹かないのか。
第1に「過疎地優遇論」がある。現状でも都市部に比べて過疎地は不利であり、そんなに目くじらを立てて言う必要はないではないか、という意見がある。
第2に「投票価値の平等」を実感できないこと。「投票価値が平等になって何か良いことあるの?」「結局、私が投票した人は通らないではないか、関係ないじゃないか」、或いは「格差が是正されて景気が良くなるのか、年金が増えるのか?」など、具体的政策形成にどう影響するか実感が湧かない、痛みを実感として感じないということがある。
第3は理論的問題で、そもそも「選挙権」の法的性格が一体何なのか議論がある。単純な「権利」だけではなく、「義務」もあるとか、或いは「権限」ではないかとか、色々言われている。今は「権利でもあり、義務でもある」というのが一般的。単純な権利とは言えない、義務でもあるのだから、「権利、権利と主張するな」という極めて感覚的な反対論も出て来る。こういうものに対して応えていかなければならない。
また国民代表の憲法上の解釈問題もある。現在の憲法では、地方から出ても東京から出ても、国会議員は「全国民の代表」であり、「選挙区の利益代表であってはならない」と考えられている。もちろん現実は違う。こうした実態を見据えて、あるべき姿を考え、格差の問題にもあたっていかねばならない。
我々は定数是正訴訟をやっていて、世の中からは「変わり者」と思われている。それはそれで結構だが、なぜこういうことを長年にやっている人間がいるのかということだけでも、国民に考えていただき、この問題の重要性に気付いていただきたい。自分たちが実感しない問題であるが、実を言うと、民主主義の根幹にかかわる問題なのである。

以上

 
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